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フィリップス

友人に「見るからに白人の子」がいました。

理由あって疎遠になっていますが、元気でやっているでしょう。

ハーフだったのですが、どうもオーストラリア人だったお父様の方に血が寄ってしまったようです。

高校の頃の同級生ですが、家庭の事情が少々複雑で、母方のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに育てられていました。

物心付いた時から日本語しか話しませんし、年寄りの家で育ってますから激しく方言丸出し。

そんな顔から発せられる九州弁は、返ってコチラの視聴覚を混乱させます。

「この人ナニイッテンダロウ!」

英語に決まっとる!と、こっちは身構えますが実際は九州弁。

やってられませんって。

できればせめて標準語を話して欲しいものですが、それも「無理!」なのだそうで仕方ない。

予備校の夏期講習は高校生も参加できますから、3人で申し込みました。

仮に名前を、フィリップスとタカシと私としましょう。

フィリップスはトコトン勉強が出来ない上に運動もできませんから、「大学は行かない。じーちゃんの仕事ば継ぐ」と利かないのを、じーちゃんが「せめて大学は」と無理やり夏期講習を受けさせた格好です。

英語の時間に講師からアテられ、講師はフィリップスの顔で「当然出来るもの」と思い込んでますが、そうはいきません、出来ないんですってば。

私やタカシより出来ません。劣悪です、英語の成績なんて。

「かぉでしゃべつばしぇんどってくんしゃい」とイントネーションもめちゃくちゃに怒鳴りますから、さっぱりわかりません。

彼は「顔で差別をしないでください」と言ってるのですが、私たちでも使わぬほどの方言です。

ついでに少し吃音気味でした。

「この子顔だけですよ、方言しか話せませんよ。」と私が講師に言いました。

「英語の?」と講師は言うので「九州の」と。

教室に広がる微妙な笑い声を恥ずかしさで真っ赤になりながら聴いているフィリップスが、少しかわいそうになりました。

ナンパをしても、口を開けば振られますしね。

損ばかりしていました。

町にみんなで出かければ、観光客の外国の人に道を聞かれ、答えるのは私です。

私も全く苦手ですが、フィリップスよりはマシでした。

ある時、行方不明と聞いていた母親が突然帰ってきます。

母親はフィリップスをアメリカに連れて行くというのです。

お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも反対したのに、どういう話し合いがなされたのか子供の私たちにはわかりません。

ただ、フィリップスは行かねばならなくなりました。

「行きたくない」というフィリップスに、「英語話せないもんね、日本語もオボツカナイもんね。」と、タカシと三人で河川敷に座って話したのを覚えています。

いまも元気でいるだろうとは思うのです。

ただ、アメリカにはいないような気がします。

日本に帰ってきているように思えてならないのです。

デパートの壁の色

小さい頃、大丸デパートが好きでした。

大丸は当初は呉服町にあり、博多駅のすぐ横という位置でした。

その頃は地場のデパート2社の天下で、「包装紙の権威」はその2社が二分していたと思います。

まだまだ博多での地位は、それ程でもなかった。

そうこうしているうちに博多駅が移転し、大丸からはすこし離れてしまい客足が変わってしまいました。

そんな昭和50年、西日本新聞社が「商業施設とオフィス」兼業ビルに本社を建て替えることとなり、大丸はそちらに移転しました。

天神町の端っこです。

ますます私の家に近くなり、歩いていける距離になりました。

これは大変嬉しい。

それから10年経ったあたりでしたか、「大丸の軌跡」のような本が出ました。

題名も覚えていませんし、内容も大して覚えていませんが、たった一つ、よっぽど印象的だったのでしょう。

覚えている話があります。

「壁の話」です。

天神へ移転する際、ビル壁の色をどうするのかという問題があり、これを大丸は茶色にします。

そのころ地場の2社は白壁で、大丸の茶色を嘲笑ったということでした。

白というのはやはり美しく高級感を感じさせる色ですから。

なぜ、大丸は茶色にしたのか。。。

そのような話だったと思います。

社内でも反対があるわけです、茶色にするということに。

それでも茶色を押し通した理由は、年間経費の削減だったのだそうです。

白壁であれば、その白さを維持するためにどれだけ経費を投じなければならないか。

茶色であれば目立たない汚れも、白であれば見窄らしく映る。

「今回はメンテナンスを見送ろう」ということが白壁では無理である。

その試算で「このように差が出る!」と力説し、茶色になったそうです。

誰が力説したのかも、誰が反対したのかも、読んだはずなのに全然覚えていません。

しかしその本がこの1件を「ここが博多の老舗デパート2社と大丸の明暗を分けた合理性。」だと評価していたのだけはなんとか記憶があります。

デパートは、生き残りが大変困難に時代になってしまいましたよね。

統合統合で、なんとか生き残りと活路を見出すためにあの手この手です。

天神の街も大変な激戦区。

私は熊本に住んでしまいましたから、あまり福岡の町にも行かなくなってしまいました。

熊本は鶴屋の一社独裁体制です(笑

それに私自身昔のように「デパートが楽しい」と思うこともなくなってきましたから。

ただ、大丸の茶色い壁を見ると、いつもその本の話を思い出すのです。